七代目 桂 才賀

芸名七代目 桂 才賀
所属落語協会所属
生年月日1950年7月12日
出囃子野毛山
鬼蔦

略歴

1969年3月、自由ヶ丘学園高校卒業後九代目桂文治に入門を申し込んだところ、「入門したければ自衛隊に3年入隊なさい」と言われ海上自衛隊へ入隊(舞鶴101期)し、3年の任期(一般隊員としての1任期)を満了まで勤め上げた後、再度門を叩いた。当時、文治は断り文句のつもりでこの発言をしており、完全に忘れていたという。1972年3月、九代目桂文治に入門。前座名は兄弟子・桂文七の前座名でもある「文太」を名乗る。

1977年3月に橘家六蔵、入船亭扇好、林家時蔵と共に二ツ目昇進。1978年5月に師匠・文治が死去したため、三代目古今亭志ん朝門下となり「古今亭朝次」と改名。師匠が高座名を命名することがほとんどの落語界では珍しく、この名は自ら考えたものである。1980年11月2日 - 10月5日に急死した四代目三遊亭小圓遊の後任として『笑点』の若手大喜利から大喜利メンバーとして参入。1982年に映画『鬼龍院花子の生涯』に出演。

1985年9月に古今亭志ん輔、四代目桂三木助、林家らぶ平、柳家三寿、林家かん平、入船亭扇遊、林家時蔵、柳家小ゑん、春風亭正朝と共に真打昇進し、七代目桂才賀襲名。昇進披露を『笑点』番組内で執り行う。

1988年3月27日、『笑点』を降板。法務省久里浜少年院長より少年院篤志面接委員の委嘱を受け刑務所、少年院の慰問活動を本格化する。同年10月には国立劇場金賞受賞。

2008年8月、刑務所、少年院の25年にわたる慰問活動を綴った『刑務所通いはやめられねぇ』を出版した。

芸歴

1972年7月∶九代目桂文治に入門、前座名「文太」。

1977年3月∶二ツ目昇進。

1978年5月∶九代目桂文治他界の為、古今亭志ん朝門下へ移籍。「朝次」と改名。

1985年9月∶真打昇進、七代目桂才賀を襲名。

講演・慰問活動

全国の刑務所、拘置所、少年院への慰問活動を積極的に行っていることで有名であり、慰問の回数は1000回を軽く超える。もともとは、笑点メンバー時代の1983年に妻の実家のある沖縄県の沖縄少年院に慰問に行ったのが最初で、その後北海少年院、久里浜少年院と慰問に訪れるが、この3つの少年院の院長が偶然にも同一人物(人事異動で沖縄→北海道→久里浜と転勤していた)だったという縁もあり、久里浜少年院の慰問の際に篤志面接委員の委嘱を受けて承諾。以後、少年院はもちろん、少年院で関係を持った職員達が刑務所や拘置所に異動したこともあり、そちらへの慰問も行うようになっていく。
篤志面接委員ということもあり、慰問を通じて感じた家族や社会の抱える問題についての講演活動も行っている。

1993年には自らを隊長に芸人慰問団「統幕芸激隊」を結成(「統幕」は統合幕僚会議の略。「芸激」は芸で激励するの意。才賀が「慰問」では辛気臭いということで命名)。現在は副隊長の太田家元九郎、「甲板士官」の三遊亭歌武蔵ら総勢78名、大阪支部もできるほどになっている。

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